(玄倉川の岸辺の)kurokuragawaサンのエントリーに、思わず(・∀・)ノシ
勝手に、テーマをお借りして見ます。
学生時代から、接客のバイトは、いくつも経験していますが、
当時の職場では、「簡潔で丁寧、相手に厭な思いをさせない。」が、
職場での基本だったと記憶しています。
その後、業界は変われども、その敬語の用法が、
違和感なくきちんと通じた「敬語」でした。
あれから、幾星霜、何時の間に、接客専門用語なんて出来たんでしょう。
私も気になる「○○で、よろしかったでしょうか?」
こういわれる度に、心の中でつぶやく。
『私、初対面のあなた様には、何も希望を申し上げておりませぬ
勝手に、決めつけないでください』
明らかに、目下の方・他社の方からの、
「ご苦労様でした」
これにも、『あたしゃ、あんたの召使い・部下じゃねぇ~』
上司や、お稽古事のお師匠さんや姉弟子サン達からの
「ご苦労様でしたね」
には、素直に
「いえ、あれで良かったでしょうか」と返せるんですけどね。
あの某2chでさえ、慰労には、
「乙!」「乙華麗様」「乙彼様でし。」
と、レスが返っているわけで・・・
kurokuragawaサンも書いてますが、「~させていただく」
これも、宗教から出ている言葉と記憶しています。
・・・故・薬師寺管長 高田後好胤先生の御説法会などで
良く用いられていました
それを、日常、安売りするのは、如何なものかと。
丁寧と言ふより、慇懃無礼と感じている私は、心の中で、こうつぶやく。
『厭なら、していただかなくて、結構です』
政治家サン達も、「させていただく」のオンパレード。
鬱陶しいです。
『誰も、そんな事、頼んでないぞ (#゚Д゚)ゴルァ!!』
『政治信念に沿って、やればヨロシ。媚びる必要無し!』
言葉は時と共に変わると言いますが、勝手に改造してしまうのは、
変わるとは違うのではないでしょうか?
今の日本は、豊かになった反面、
日常とハレの区別が無くなってしまったのでしょう。
「お出掛け用」「一張羅」なんて、言葉もとんと聞きません。
「晴れ着」は、和服用語で、なんとか使われているようですが。
少し羨ましく思うのは、キリスト教の国。
日曜、ミサや日曜学校に行く時には、日常の装いから、ハレの装いに着替え、
心もそれなりに準備し、近隣の人たちと、三々五々教会まで。
TVやラジオの大人達も、子供や若者に、媚びすぎているのか、
気になる用い方を注意しないし、反対に一緒になって使う始末。
「あらま、こんなお嬢さんが、こんな言葉を平気で・・・」
と思うようになったら、加齢の症状が出て来てしるのでしょうかねぇ。