【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


2005年6月20日を表示

■戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き

戦争経験者さんの著書なんでしょうけれど、出版にあたって、自分の記憶だけでなく、他の当事者の記憶も加味してあれば、こういうことが防げたんでしょうが・・・

なにせ、大和民族のオノコは「沈黙は金」とばかりに、主張すべきことも主張せず、口を閉ざしてましたからねぇ。戦争経験者と名乗り、マスゴミにしゃしゃり出ているオノコ達は、戦地経験どころか、戦後にようやく、学校に行った位の年代ですもんね。

最近は、戦地経験者さんたちも、口を閉ざしていたことで被っている日本の歴史認識の誤りに気づいたようで、ようやく、重い口を開きだしていますね。遅かったけれど、それでも、今生きている人たちの責務ですから、真実を告げることは。


我が家にも、共に昭和一桁世代が二人いますが、終戦時に十代前半の母者の記憶なんぞ、本当に身の回り一里(4㌔)の出来事だけですよ。十代後半だった父者でさえ、職場とその近隣のことだけ。今みたいに、情報なんぞ簡単には廻ってこず、うわさ話に尾ひれがどっさりついたモノを覚えている程度です。この尾ひれのついた噂が、今、世にはびこる自虐史観の原因なんのでは?と思ふ σ(´∀`;)

TVで偉そうに「戦争を知っている」とのたまう人たちは、この二人より若い世代。と言ふことは、自分の体験・記憶に、後から「大人達の間で流れていたうわさ話や誇張話」が調味料の如く、加味されているのではないの? おまけに、GHQの政策下における戦後教育もどっさり加わっていそうですもんね。


goo ニュース - (産経新聞)
 吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き

救助艇指揮官「事実無根」

 戦艦大和の沈没の様子を克明に記したとして新聞記事に引用されることの多い戦記文学『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)の中で、救助艇の船べりをつかんだ大和の乗組員らの手首を軍刀で斬(き)ったと書かれた当時の指揮官が産経新聞の取材に応じ、「事実無根だ」と証言した。手首斬りの記述は朝日新聞一面コラム「天声人語」でも紹介され、軍隊の残虐性を示す事実として“独り歩き”しているが、指揮官は「海軍全体の名誉のためにも誤解を解きたい」と訴えている。

 『戦艦大和ノ最期』は昭和二十年四月、沖縄に向けて出撃する大和に海軍少尉として乗り組み奇跡的に生還した吉田満氏(昭和五十四年九月十七日、五十六歳で死去)が作戦の一部始終を実体験に基づいて書き残した戦記文学。

 この中で、大和沈没後に駆逐艦「初霜」の救助艇に救われた砲術士の目撃談として、救助艇が満杯となり、なおも多くの漂流者(兵士)が船べりをつかんだため、指揮官らが「用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバッサ、バッサト斬リ捨テ、マタハ足蹴ニカケテ突キ落トス」と記述していた。

 これに対し、初霜の通信士で救助艇の指揮官を務めた松井一彦さん(80)は「初霜は現場付近にいたが、巡洋艦矢矧(やはぎ)の救助にあたり、大和の救助はしていない」とした上で、「別の救助艇の話であっても、軍刀で手首を斬るなど考えられない」と反論。

 その理由として(1)海軍士官が軍刀を常時携行することはなく、まして救助艇には持ち込まない(2)救助艇は狭くてバランスが悪い上、重油で滑りやすく、軍刀などは扱えない(3)救助時には敵機の再攻撃もなく、漂流者が先を争って助けを求める状況ではなかった-と指摘した。
~ 以下略 ~

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06/20(月)20:06 | トラックバック(1) | コメント(2) | ◆ 時事 | 管理

■原爆と水爆

在米の被爆者さんたちは、苦労なさっておられるようですね。アメリカの健康保険は、私企業がやっている「医療保険」が大多数で、保険に入ってない人も多いらしい。戦後すぐの時期には、ヒロシマの「原爆乙女」の医療にも尽力してくれた方もいらしたんですけど・・・

亜米利加国内では、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下は、今現在も正当なことであったとされていますし、当時の欧米列強にいわせれば、アジア諸国・日本なんて猿以下だったんだものね。本当に悔しいけれど。

で、亜米利加国内の被爆者なんて、認めたくないんでしょうね、きっと。そう、ベトナムの枯れ葉剤被害者と同じように・・・ なぜに、被害国である日本が亜米利加在住の被爆者さん達を支援するの?と言ふ疑問もあるけれど、現に苦しんでいる人がいて、日本の被爆に関する医療水準は世界トップで、やれることがあるなら、やって上げて欲しいと思ふ。

日本は、いわゆるロビー活動が下手。言わなくても分かってくれるだろうなんて、脳天気なことを望んじゃイケナイ。耳にたこができるくらいに、被爆の恐ろしさを亜米利加はもとより、欧州や印度パキスタン等々に知らしめなくてなイカンぞ。

その恐ろしさを知れば、北の金豚のやろうとしていること・やっていることことの恐ろしさが感じられ、被爆について知識の乏しい先進諸国等もきっと、日本の対北朝鮮政策を後押ししてくれると思ふ。また、拉致問題も日本政府の及び腰の態度から、関心を持ってくれる欧州の国が少ないけれど、被爆被害と拉致問題を絡めて、北朝鮮の理不尽さを、世界中に知らしめて行くことが、解決の一助になると思ふんだけれど、エライ人の集合体の官僚さん達は、どう考えているんだろうと、問いつめたい・・・


MSN-Mainichi INTERACTIVE アメリカ
 在米被爆者:ロスのリトルトーキョーで健康診断

 米国に在住する広島、長崎の被爆者に対する健康診断が17日、ロサンゼルスで実施された。米国では被爆者というだけで民間の医療保険に加入できない人もおり、2年に一度の健診を被爆者らは心待ちにしていた。

 ロサンゼルスの日本人街、リトルトーキョーの診療施設には朝から20人以上が集まり、広島県が派遣した松村誠医師らが心電図や血液検査、問診などにあたった。

 米国で生まれ、日本語を学ぶために滞在していた広島で被爆したフローレンス・ヤマダさん(73)は「米国の病院では被爆者とは言いにくい。この健診では何でも話せるので身も心も軽くなる」と笑顔を見せる。別の被爆者(78)は「私が被爆者と知ると米国の保険会社はどこも契約してくれず、病気になっても全額自己負担。こうした健診は本当に助かる」と話した。

 広島県は77年から隔年で医師団を北米に派遣している。松村医師によれば、在米被爆者は700~800人で、平均年齢は74歳。(ロサンゼルス共同)

毎日新聞 2005年6月18日 22時14分


Yahoo!ニュース - 読売新聞
 - 第五福竜丸事件、米の意向で放射能調査中止…文書発見

 太平洋ビキニ環礁で1954年3月、米国の水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした事件に絡み、当時の厚生省がマグロの放射能汚染調査を事件から9か月後、突然打ち切った背景に米政府の意向があったことを示す文書が、米国立公文書館に残されていることが18日、広島市立大広島平和研究所の高橋博子助手(アメリカ史)の調査で分かった。
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*** 勝手にTB ***
+ katariya blog + ●原爆を知ってくれ!
溶解する日本/ウェブリブログ アメリカが隠蔽した「ナガサキ」>ある米人ジャーナリストの原稿


・・・追記に続きます・・・



06/20(月)01:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ◆ 時事 | 管理


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