【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


2005年6月19日を表示

■和解が出来る台湾、出来ない中韓北

寝かせておいたネタですが・・・

中国様のお得意の誤魔化しが出てきましたが、今更、こんな主張してもねぇ。あの事件の後の欧米の報道は、消えないですよ。もう、世界が分かっちゃったんですよ、中国様の言動はね。自分のところの不都合は、知らぬ顔の半兵衛で、日本に対しては、いつまでもいつまでもネチネチと・・・嫌らしいったらありゃしないわ。

韓国様も、相変わらずですわよ。思い起こせば・・・近代日本は韓国と戦ったことはございません。ですから、戦勝国の振りをなさって、いつもでも、日本へ「謝罪と賠償」を請求し、靖国を目の敵にしても、無駄でございます。それより、同胞の国をなんとかなさいませ。自分達が彼らの「核の傘の下」にいると思っているのは、茶番劇ざます。ソウルは国境線と何㌔離れているかをよぉ~く考えて見たら如何でしょう? かの国のトップは、それほどに信用できるお方でしょうか? 自国民を飢えさせていながら、自分だけは、美味しい物を召し上がっている方ですわよ。


台湾様は、高砂義勇兵絡みで、中国を背中に隠した議員がトンでもない振る舞いをなさっていますが、それはほんの一握り以下の方々。そして、それらと少しの犯罪者以外の皆さんは、日本にとって素敵な隣人です。130年余り前の争いの犠牲者を共に供養し、許しあえる・・・同じ感覚を持っているのが、とても嬉しいことです。率直な謝罪を受け入れ、そして、和解することが出来るんですから。
犠牲になられた方々も、草葉の陰で喜んでおられることと・・・
つ菊



Yahoo!ニュース - 読売新聞
 反日デモ「謝罪問題は存在しない」…中国外務省

 【北京=末続哲也】中国外務省の劉建超・副報道局長は、16日の定例会見で、今年4月の反日デモで北京の日本大使館などに被害が出た問題で日本側が「謝罪」を求めていることについて、「いわゆる『謝罪』問題は存在しないし、解決済みだ」と述べた。

 北京の反日デモ直後の喬宗淮・外務次官による遺憾表明などを念頭に、これ以上の「謝罪」表明はあり得ないとの立場を示したものと見られる。

 また、劉副局長は、被害を受けた大使館などの原状回復について、「中国側は国際法と、国際慣例に基づき、責任ある態度で処理する」と述べ、原状回復に応じる意向を改めて表明した。
(読売新聞) - 6月16日21時59分更新

goo ニュース - (共同通信)
 靖国に代わる追悼施設を 韓国、首脳会談で要求方針
 【ソウル16日共同】韓国の潘基文外交通商相は16日、国会の鄭義溶・国際協力委員長と会談、20日の日韓首脳会談で小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反対し、同神社に代わる新たな戦没者追悼施設の建設を求める考えを明らかにした。聯合ニュースが会談に同席した与党ウリ党議員の話として報じた。

潘外交通商相は「小泉首相が2001年に検討を約束した通りに追悼施設問題を検討するよう強力に促す予定だ」と言明。

さらに靖国参拝、歴史認識、竹島(韓国名・独島)問題について「われわれの立場を伝達し、日本が過去を直視した上で未来志向の関係が進むように促す」と強調。竹島は明白に韓国領土であるとして日本に「(領有権の)是非を問わないよう強く促したい」と語った。


Yahoo!ニュース - 西日本新聞
 牡丹社事件134年ぶり和解 台湾先住民子孫ら 沖縄訪問し慰霊

 1871年、台湾に漂着した沖縄県・宮古島の漁民54人が殺害された牡丹社(ぼたんしゃ)事件で、台湾・屏東(へいとう)県牡丹郷の郷長や先住民の子孫代表ら訪問団約20人が、慰霊のために沖縄を訪れた。16日、那覇市で犠牲者の子孫の1人と対面し、事件から134年ぶりに和解の握手をした。

 訪問団は、同市内の護国寺境内にある犠牲者の墓の前で追悼式を開催。漁民の「頭(かしら)」として犠牲になった仲宗根玄安さんの子孫で、病院事務長の仲宗根玄治さん(67)=大分市=が参列した。

 林傑西・郷長は「悲しい事件が発生したが、勇気をもって祖先のあやまちを相互理解するために訪れた。未来に向け、沖縄と台湾の平和交流を深めたい」とあいさつし、仲宗根さんと手を握り合った。

 仲宗根さんは「私より四代前の出来事ですが、先祖の話として家で受け継がれ、台湾にある墓を参ったこともあります。和解の話が出るとは思いもよらず、感無量です。みなさんに来てもらって本当に喜んでいます」と話していた。

 一行は十七日、宮古島を訪れ、ほかの犠牲者の遺族を慰問し、交流会を開く予定。

■牡丹社事件

 1871(明治4)年、宮古島の漁船が台風で台湾最南部の集落・牡丹社に漂着。上陸した66人のうち54人が先住民に殺害された事件。12人が清朝側に救出されて沖縄に戻った。日本は「懲罰」のため、3年後の74年に西郷従道中将率いる軍が出兵。明治政府初の海外出兵となった。日本はその後、清朝から賠償金を得て、高官から「台湾は統治の及ばない土地」との発言を引き出すなど、事件は日本、台湾、中国間の近代外交史の原点と位置づけられている。
(西日本新聞) - 6月17日2時15分更新



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