■毅然とした対特亜外交 |
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旧態依然とした国民感情だったら、「靖国」なるものは、 日本人の自虐史観をくすぐり・・・となったんでしょうが、 バブルのもろさを経験し、ふと我に返った日本人には、 「特定アジア(中・朝・韓)」アジアが恭しく捧げ持つ「靖国」に、 「それが何か?」 と、“冷静なそして冷ややかな受け取り方をする人が目に見えて増えている” と言うことでしょうかね。
私も、去年初めて、桜の靖国神社にお詣りいたしました。 関西にある神社仏閣とは違った雰囲気かと思っていましたが、 お詣りするにも、境内に入るのに拝観料もいらず、 気軽に、ふらっと、立ち寄れる、街中の神社そのものでした。
でも、そんな神社に集い慰めあうことを約束して、 そして、日本の未来を案じて散っていった命が幾程あるのか。 そんな皆さんを、未来に生きている日本人がお詣りして、 何処が悪いのでしょう? どこから「軍靴の音が聞こえる」と言うのでしょう。
そう、小泉さんの言う「靖国は外交カードにはならない」と言うことを、 日本では多くの人が、それなりに賛成しているんでしょう。 でなければ、先の衆議院選挙の結果は変わっていたと思います。 郵政が争点とされていましたが、外交姿勢に異論があれば、 やはり、自民党には入れなかったと思うのですよ。
くっくりサン経由で読んだ、小泉さんの講演会のテキスト起こしを読むと、 (『さくらの永田町通信』サンにあります) 「平和」を守るために必要なのが、軍事力と力説しています。 小泉さんの名言とされている 「奴隷の平和は望まない」が、よく分かります。
よく、平和主義として例えられるのは「スイス」と「コスタリカ」ですが、 「スイス」の民間防衛は、半端な軍事力ではなく、 「コスタリカ」は、軍事力を亜米利加に完全に委任し、 国境警備にも、軍事力を入れている。 この辺りを、似非平和主義さんたちは、見て見ぬ振りをしてなさる。 もっと、現実を見つめましょう。 日本が日本で有るが為には、何が必要なのか。 ATMの如く、タカられるダケの国で良いのかどうかを。
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12/03(土)15:01 | トラックバック(3) | コメント(0) | ◆ 極東 | 管理
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