【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


2005年7月7日を表示

■『日本よ』

■『日本よ』
産経朝刊に月一度掲載されている石原都知事のコラム。
今月分をうpしてくださった物を読み・・・ちょっと泣きましたので、置いておきます。

靖国は、外交のカードにしてはいけないと再認識したコラムでした。



【実況@番組】北朝鮮関連番組実況 part321
http://live21.2ch.net/test/read.cgi/weekly/1119324132/852-858

2005年7月4日発売の産経新聞より転載
http://www.sankei.co.jp/

■『日本よ』 石原慎太郎   「国家存亡の分岐点」

 昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。

 それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。

 最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。

 石田中尉の墓は横須賀の一族の菩提寺にあるが、あの戦争という国家の出来事を背景に亡き父親を想おうとする時、家内たち兄妹は靖国神社に参っている。戦没者の遺族のほとんどは同じ思いに違いない。

 今年ようやく、特攻の母といわれた亡き鳥浜トメさんからの私自身の聞き語りを元にしたシナリオの特攻隊賛歌の映画化に入るが、二十前後で散っていった若い桜たちの合言葉は「靖国で会おう」、遺族には「靖国に来てくれ」だった。

・・・ 続く ・・・


・・・追記に続きます・・・



07/07(木)23:21 | トラックバック(1) | コメント(1) | ◆ 極東 | 管理


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