【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


■ホームレスなる人々

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自由が制限されるから、支援施設に入るのは厭と仰る皆さん。
誰もが、少しずつの我慢をして、社会生活を過ごしています。
ゴミを出すのも、電車に乗るのも、買い物をするのも、
少しずつ我慢して、社会生活を送っています。
あなた方が、公園にいることで、
親は子供達を自由に遊ばすことが出来ません。
それは、どう思いますか?

これに先立って、同日午前1時ごろ、靱公園の出入り口を閉鎖しようとした市職員が何者かにチェーンで殴られ頭にけがをした。

また、法に則った行為に対して、暴力で抵抗なさったそうですが、
昨日今日、通告されていたわけではありませんよね。
退去に関しても、大阪市は精一杯やっているのではありませんか?
でも、それに掛かる費用は、一般ピープルが支払う税金ですよ。
公園の維持管理にも、税金が使われていますが・・・

ホームレスと言われる人々の多くは、自立を希望していると聞きます。
なればこそ、少しの不自由も受け入れなければならないのではありませんか?

また、自分に負け、お酒や怠惰な生活に逃げている方。
一生、逃げて終わるつもりですか?
差し出されている手を拒絶せず、すがってみる気にはなれませんか?

また、この方々を支援なさっている皆さん。
「甘やかす」「堕落させる」支援をなさっていませんか?
今の教育では「厭なことはやらせない」を
見直す方向に向かっているようですが、
人は時に「厭なことでも受け入れなければならない」ことを、
ホームレスの皆さんに喚起してますか?
支援の方法によっては、自立を妨げていることになるのではありませんか?

相手を独立した人間と見るならば、対処療法的支援は程々にして、
現実の社会生活に戻れるような支援になさって下さい。
何年も経つのに、人の情けにすがって生きている相手を見て、
優越感を感じてはいませんか?

我が家では「働かざる者食うべからず」と言います。
たしかに、病気等で働けない人もいるでしょう。
ならば、少しの不自由を甘受して、それなりの施設に入ることも、
必要ではないのでしょうか?

ホームレスの皆さん、そして、支援なさっている皆さん、
「甘え」は捨ててください。
世の中には、月に10万に満たない収入で、生活している人は沢山いますよ。



関連エントリー:
[06/ 1/29] ■またまた、大阪発の話題ですが・・・
 ・・・鏡の間では、こちら・・・

・・・続きに、記事本文があります・・・



01/31(火)14:37 | トラックバック(2) | コメント(2) | ◆ 社会 | 管理

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コメント

 1: 偏見が偏見と意識されない怖さ(1)

 あなたのご発言は、ホームレスに対する偏見に満ちています。
 もちろん、ホームレスであろうとなかろうと、人間にはいろいろな人がいますから、金持ちのアルコール依存症患者が存在するのと同様、ホームレスのアルコール依存症患者が存在するのは事実です。しかし、ホームレス一般について、「お酒や怠惰な生活に逃げている」と評するのは、明らかな偏見以外の何物でもありません。ホームレスより楽に、それなりの社会的地位と収入を得ている人はいくらでもいます。親子何代にもわたって、政治家だったり、上場企業役員だったり、高級官僚だったり、医者だったり、そういう人種はいくらでもいて、もちろんそういう人にもそれなりの苦労があるはずですが、ホームレスより何倍も恵まれた環境に育ったことは間違いありません。

 あなたは、支援施設への入所を拒否するホームレスがいることに憤慨なさっていますが、そもそもホームレスは、なぜ、支援施設という一般の生活困窮者とは違った枠組みで処遇されなければならないのでしょうか。支援施設というのは、そのもともとの発想が、一種の収容所のようなものです。本来なら住宅扶助を含む生活保護を受給して、賃貸住宅等への家賃補助が受けられるはずなのに、実際にはそういった処遇がほとんど受けられず、たとえ支援施設に入所しても3ヶ月から半年程度で追い出されます。これが本当に、公正なことでしょうか。

 災害時などに一般市民が公園に避難しテント暮らしをしても、特に批判はされませんし、それどころか仮に行政がそのような市民を公園から追い出そうとすれば、たちまちマスコミ等から行政批判が出ます。そして、テント暮らしの市民には仮設住宅や公共住宅が提供され、必要に応じて生活保護が支給されます。ところが、ホームレスに対しては、仮設住宅も公共住宅も生活保護もほとんど提供されません。国民として同じ公民権を持っているはずなのに、ホームレスが一般市民としての処遇を受けられないのはあきらかに間違っています。

 なぜ、このような不公正がまかり通っているのでしょうか。その要因は多岐にわたりますが、少なくとも、あなたがお持ちのような偏見が“常識”として通用していることの影響は少なくありません。ホームレスは怠け者、社会に迷惑をかけている、収容所に入れられても文句は言えないはずだ…。そんな見方が常識として通用しているからこそ、非行少年が平然とホームレスを襲撃するような事件も起きるのです。あなたのご発言もホームレスへの偏見を再生産し、ホームレス襲撃を考える非行少年を生むことに、一定の貢献をしています。


 by kunarukante | 02/21(火)00:49

 2: 偏見が偏見と意識されない怖さ(2)

 行政も、ホームレスへの偏見を強めることに熱心です。大阪の件でも、一般市民相手の場合とは比べ物にならない位の強硬な態度で、行政は騒乱状態を作り出しています。市民が税金・公営水道料金・公営住宅家賃等を滞納したり、公共用地取得目的の強制収用に抵抗しても、ホームレスに対するようなぞんざいな扱いはしないはずです。行政は、災害等のために公園で非難生活を送っている一般市民に対して退去を求める際は、決して強制排除などはせずに、公営住宅等を用意するでしょう。それなのに、ホームレスに対しては態度を変えます。なぜでしょうか。結局、騒ぎが大きくなって、“行政は被害者”という構図になったほうが、行政にとって都合がいいのです。
 ホームレスは行政だけではなく、為政者にとっても都合のいい存在です。一定範囲内の数のホームレスがいれば、“負け組”の一般市民に、ホームレスよりはましだ、という優越感を与えて、政治や行政への不満をそらすことができます。さらに、ホームレスは怠け者という“常識”によって、ホームレス自身にさえ、困窮は自分のせいだと思わせ、社会の不公正に気付かせないようにすることも可能です。そういった風潮の結果が、今やフリーターやニートへの批判にも及んでいます。製造業が安い人件費めあてに工場を発展途上国に移し、サービス業が外注や派遣等でコストを極限まで削減するという状況の中では、正社員が減るのは当たり前のことなのに、世間では一般的に、いまだに、フリーターやニートの“職業意識の欠如”が叫ばれる始末です。フランス暴動でのサルコジ内相の暴言はフランスよりもむしろ日本での支持が多かったようですが、生活困窮者は怠け者という偏見がどれほど行政を助けているか、考えてみることも大切です。


 by kunarukante | 02/21(火)00:50


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