【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


■未成年への犯罪の重罰化を考える

光市の母子殺害が、最高裁で裁かれることになったようで、
遺族にとっては、少し日本の司法制度を見直していただけるのではと思いたい。

昨今の対未成年犯罪、特に性犯罪絡みの事案の多さには、
日本人として、何か置き忘れてしまったせいなのかと、
苛立たしさと悲しさを感じています。

また、その後の裁判での判決の軽さにも、唖然とするものがあります。
錦の御旗のように持ち出される「情状酌量」。
特に未成年が加害者の場合に顕著ではないのでしょうかね。

所謂「異常性癖」は、適切なプログラムによって矯正しようとしても、
100%が治るわけじゃない。
必ず、何割かは治らないのですよ。
これは、矯正プログラム先進国の亜米利加でも、頭を抱える問題のようです。
その為に、様々な対応方法が採られています。
遅ればせながらも、日本も幾つかの対応をしているようですが、
それは、一般市民の処までは、降りてきません。
犯罪被害に遭わない為には、
“加害者の人権より被害者の人権を重く考える”べきだと思うのですが、
日本司法界には、未だに、加害者の人権ばかりを尊重し、
被害者の人権をないがしろにする風潮があります。

また、日本の刑法の落とし穴として、
「長期刑と死刑の間の超えられない壁」も問題です。
長期刑ならば、刑務所内での態度のいかんにより、
多くが刑期の7~8割で仮釈放を認められ、社会に復帰できる。
20年の刑期として、14~16年。
人一人殺しても、終身刑が無いため、14~16年で出所。
逆に言えば、人一人殺すダケなら、14~16年辛抱すればOK。
出所して、また、一人殺しても、同じ。

同じように、二人の人間を殺しても、同時に殺せば、大概、死刑。
時期をずらせば、長期刑2回。
それも、「情状酌量」を認められれば、もっと短くなる。
これは、立法府の怠慢ではありませんか?
遺族は、到底、納得出来ないでしょう。

犯罪被害の遺族の方が手記でも書かれていますが、
 終身刑の創設や幼少年が犠牲となった犯罪に対する重罰化
を検討することも、立法府に望みたいものです。

抵抗も出来ない幼子を殺してしまう犯人は、人間ではありませぬ。
単なる鬼畜です。
ならば、人として出来うる限りの罰を与えねばなりませぬ。

死刑反対と叫ぶ人たちにこそ、こういう、悪辣な犯罪を起こした人間に対して、
どういう矯正方法・罰があるのかを、答えて欲しいものです。
再犯した場合に、誰が責任を取るのか。
殺された命は、取り戻すことは出来ないのですから、
殺されない為には、再犯の恐れのある者に対して、
どうしたら良いかを示して欲しいものです。




・・・続きに、記事本文があります・・・



12/09(Fri)12:49 | Trackback(4) | Comment(8) | ◆ 社会 | Admin

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Comment

 1: ご指名ありがとうございます

厳罰慎重派より性犯罪者の再犯率(半分以下)がよく論じされますが、あれは再犯率ではなく再検挙率ですよね。
特に幼女に対する犯行は氷山の一角の如く潜在化していると断言します。
そして性犯罪者は、座学や再教育では矯正し得ないというのが持論です。


 by kingcurtis | HP | 12/09(Fri)19:56

 2: 被害者とは違う視点を持つ冷静さを(1)

>加害者の人権より被害者の人権を重く考える

 一見、正義に満ちている見解のようでいて、実に危険で偏った思想だと思います。被害者を一方的に擁護すればそれで足りるのなら、裁判など必要ありません。
 人権というものは、人間が作った権利ではなく自然権であると考えられています(人権天賦説)。誰でも、たとえ犯罪者でも、人権の重さというものは平等であって、公権力が人権そのものを犯罪者から奪うことはできません。刑罰は、被害者個人の報復のためのものではなく、法秩序維持の目的の範囲内でのみ執行されていることを忘れないで下さい。
 報復が目的なら、過失半と故意犯を区別する必要もありません。単に犯行の結果だけで判断する(結果主義)のではなく、犯人の境遇や年齢等によって犯行の責任の軽重を定めそこから刑罰が決められる(責任主義)のも、報復が目的ではないからです。
 司法制度に関する以上のような基礎的な枠組みを理解なさらないと、単純な勧善懲悪論に流されてしまいます。水戸黄門のような勧善懲悪は、見ていて気持ちがいいかもしれませんが、現実の裁判があんなものだったら、かえって危険です。単純な勧善懲悪が許されるようになれば、公権力が民衆の歓心を得ようとして、重罰を課すようになってしまいます。これは、北朝鮮のような国家で見られる現象です。

>人一人殺しても、終身刑が無いため、14~16年で出所。
>逆に言えば、人一人殺すダケなら、14~16年辛抱すればOK。
>出所して、また、一人殺しても、同じ。

 普通、殺人の再犯なら2回目は死刑でしょう。ただ、同じ殺人といっても、十把一絡げにできるものではなく、傷害致死に近いものもあれば、強盗殺人のようなものもあり、“人が死んだ”という結果だけで、その犯行に対する法的評価が決まるものではありません。よく子供の虐待死事件などで、単純に見れば“こんなに軽いのか”というような判決もありますが、そういう批判をする人の多くは、被害者の死という結果だけに目が奪われ、訴因等には無関心なことが多いようです。殺人か傷害致死か、被告人が犯したとされる罪が何であるかによって刑罰には違いが出てきますので、罪名に注目することも大切です。
 ちなみに初犯が傷害致死なら、再犯が殺人でも、被害者が一人の場合、死刑にはならないでしょう。なお、最も犯情が悪いのは強盗殺人であり、これを再犯すればまず間違いなく死刑になります。強盗殺人の再犯で死刑にならないケースがもしあれば、探してみて下さい。
 それにしても、刑期14~15年がそんなに軽いものでしょうか。これほどの長期に渡って収容されることの苦痛は大変なものであるはずです。北朝鮮の拉致被害者も北朝鮮という牢獄に閉じ込められ、かなりの苦痛を味わっていますが、それでも日本の刑務所に収監された囚人よりは、まだ楽だったでしょう。日本の矯正施設は、欧米よりもかなり処遇が厳しいとされています。欧米の刑務所では、電話やパソコン、テレビ等の使用も制限されていないことが珍しくありません。日本の刑務所の人権状況については、欧米の一部NGOから批判があるほどです。
 また、欧米の終身刑は死刑廃止が前提となっているので、日本に終身刑がないことを批判なさるのは誤りです。さらに、欧米の終身刑のもとでもあらゆる仮釈放制度が整備されていて、更生の状況等によっては仮釈放もありえます。終身刑である以上、どんなことがあっても絶対に釈放しない、という制度は欧米にはありません。キリスト教思想が社会の根底にある欧米では、罪は悔い改めれば赦されるものなのです。一方、発展途上国や独裁国家等での刑罰は非常に厳しいのが一般的ですが、日本をそんな国にしていいかどうかは、私が申し上げるまでもなく、明らかでしょう。


 by kunarukante | 02/20(Mon)06:10

 3: 被害者とは違う視点を持つ冷静さを(2)

>終身刑の創設や幼少年が犠牲となった犯罪に対する重罰化

 終身刑については死刑廃止とセットでなければ導入しようがないことはすでに申し上げた通りですが、被害者の年齢によって刑を重くするという制度も法の下の平等に反した発想で、問題といわざるをえません。もちろん、責任主義である現在の刑事司法体系の下でも、被害者の年齢は犯行責任を考える上でのポイントの一つではありますが、それを越えて、制度として重罰化するというのは、女性に対する犯行を重罰化しようとか、老人に対する犯行を重罰化しようとかいうのと同様、明らかに差別的です。このような考え方を進めていけばキリがなくなり、思わぬ不平等や差別を生むことでしょう。結局、子供を保護しようとするあまりの“ひいきの引き倒し”でしかありません。
 仮に、被害者の年齢が10歳以下の殺人は、例外なく死刑にするという制度が創設されたとしましょう。もし、いわゆる“無理心中”という名の殺人事件で、母親が2人の子供を殺害しようとして、母親と子供のうちの一人が生き残ったとしたら、母親にどのような事情があっても、母親は死刑でいいのでしょうか。夫の浮気で人生を悲観したとしても、生き残った子供が母親を死刑にしないでと訴えても、それでも死刑でいいのでしょうか。仮にそのようなケースでは死刑を回避しようということになるのなら、それこそ、法の下の平等に反します。そのような制度の下では、シングルマザーでたった一人の子供を殺した母親の場合、間違いなく死刑になるからです。また、被害者の子供が犯人重罰化制度の境界域の年齢にあたる場合、子供の死亡時刻が数分違うだけで、または場合によっては犯行時刻が数分違うだけで、刑罰が変わってしまうので、裁判では激しい争いが起きるでしょう。裁判長期化の要因にもなりかねません。

 被害者が、かわうそうという思いは誰でも同じです。水戸黄門が人気なのも、現実が厳しいからです。でもだからといって、単純に重罰化を唱えればそれで済むのでしょうか。誰でも被害者になれば冷静ではいられなくなりますが、冷静であるべき社会一般が被害者と同じ気持ちになってしまえば、社会は歪んでしまいます。被害者でない人が、被害者と同化してはなりません。
 被害者が被害者としての気持ちを訴えている場合、その心情は理解できても、それが正当な見解として認められるかどうかは別問題です。ところがマスコミ等では、しばしば被害者第一主義的な報道がなされます。被害者の言うことは何でも正しい、という報道です。視聴率は取れるのでしょうが、とても安易だと思います。

 犯罪について考える時、本来は被害者よりも加害者の視点を重視すべきです。たとえどんなに理不尽でも、加害者の視点に立たなければ事件の真相は見えてきません。ところが日本のマスコミはたいてい、被害者を美化し、加害者を実態以上に低く評価します。ホリエモンに対する人格攻撃に近い批判は、まさにその典型的な例といえるでしょう。
 犯罪者の視点に立ち、犯罪者の境遇を理解すれば、たいていの犯罪者には気の毒な点があるものです。犯罪者が恵まれない境遇にある場合、それを不当に無視することは決して公正とはいえません。犯罪者の事情や境遇が理解され、それに合わせた刑罰や矯正プログラムが提供されれば、結局は犯罪は減っていくことでしょう。犯罪者を一方的に批判して死刑にしても、宅間死刑囚のように死んでいくだけで、決して犯行の責任をとらせたことにはなりません。

 山口県光市の事件では、最高裁が誤った判断をしないことを切望します。この事件でもし最高裁が被告人の無期懲役を破棄するようなら、それは処罰の公平性等を犠牲にして、国民の歓心を買おうとしているにほかなりません。裁判所が国民の歓心を買うべく勧善懲悪劇を奨励するような場合、その背景にはたいてい、政治的な動機があります。政治家の失政を補い、政治家の権力基盤を強化しようとする意図が、今の最高裁に皆無であると私には断言できません。


 by kunarukante | 02/20(Mon)06:13

 5: へー

加害者に対する人権>被害者に対する人権

裁判って何??少年法って??人権派の皆さんは神にしかわからない更生の可能性がわかるんですね。

人間は法がなければ殺人強盗強姦詐欺なんでもしてしまう(性悪説?)でしょうから、法律があると思うので、厳罰化、おおいに歓迎でしょう。


 by たけし | 03/14(Tue)12:45

 6: たけし様へ

「たけし」様は少し誤解なさっているようですが、私は「加害者に対する人権>被害者に対する人権」とまでは考えていません。ただ、被害者の視点を重視するあまり、加害者の視点を無視すれば、結局、事件の真相も見えてこないし、事件を防ぐ方法もわからない、と申し上げているのです。
 加害者をののしり、批判し、その極刑を願うのは被害者なら当たり前のことかもしれませんが、それだけで終わるのならそもそも裁判などいりません。私たちは、被害者ではない第三者として、冷静に事件を見つめる必要があるのではないでしょうか。
 宅間元死刑囚による児童殺傷事件も、結局、宅間元死刑囚の立場や意見がほとんど伝わらないまま、死刑が執行されて終わってしまいました。死刑囚に対する罵倒は、しようと思えばいくらでもできますし、鬱憤晴らしの公的な対象として、極悪非道の死刑囚の存在は公権力にも好都合でさえあるのかもしれませんが、どうしてあんな事件が起きたのか、宅間元死刑囚の人生がどこでどう間違ったのか、本当のところはどんなに彼を罵倒しても、何もわかりません。死刑執行で一件落着というのは、宅間元死刑囚の場合はやむをえなかったとはいえ、実はある意味、安易な方法であり、それよりも、宅間元死刑囚の言い分を十分聞いた上で、彼の犯行について批判し続け、その責任を問い続けることこそが、真相解明・犯行予防の上からも重要だったと思います。そのほうが、宅間元死刑囚もつらかったはずです。死刑によって、宅間元死刑囚は、批判を一生受け続ける苦痛から逃げました。そして、宅間元死刑囚の言い分を無視した私たちの社会は、きっち第二の宅間を生むに違いありません。


 by kunarukante | 05/02(Tue)03:59

 7: ヤクザと鬼が哂う「死刑廃止論」

この記事へのコメント
ヤクザと鬼が哂う「死刑廃止論」
現代人の心はそれほど進化しているのか?
人間の歴史400万年のうち、つい150年前まで、仇討ちは美徳とされていたのではないか?高々150年で心が進化するものか?うぬぼれていないか?
安田先生のご家族が同様な被害に会われたときも本心から死刑廃止を唱えられるのか?大いに疑問である。
仮に、飛びぬけて心が進化している先生がそうしても、ほかの遺族はどんな気持ちかな?ついていけるのかな?
また、周りの人も同調するのかな?
日本国民や世界の大多数が、本心から「死刑廃止」を支持するのは100万年先でも無理と思う。理屈で分かっていても心が伴わない。人間はそれほどご立派ではない。
あなたの人生もそうだったでしょう?殴られたらやっぱり殴り返したくなるだろう?証拠はあなたの周りを見れば、いくらでもあるはず。
加えて、裁判はさっさと終わらせよう。遺族がかわいそう。洋さんが早く立ち直るためにも。洋さんの人権も大切にしようね。また、長い裁判は税金の無駄。
また、刑が軽ければ、性悪の後続者は安心して犯罪を犯せるのだ。「死刑にならなければおれもやろうっと。」、彼らは賢いからこの裁判の行方をしっかりと見ているよ。ずるがしこい小中学生もしっかり見ているのだよ。人権派弁護士さん。


 by ますだ太郎 | 05/02(Tue)12:04

 8: ますだ太郎様へ(1)

 私は弁護士でも死刑廃止運動家でも何でもない小市民ですが、曲がりなりにも法学部での学習内容を少しは知っている人間として、刑事司法のルールを踏まえて発言しています。ご存知かとは思いますが念のために申し上げれば、現在の少なくとも先進国の刑事裁判は、報復を目的としてはいません。それが本当に正しいかどうかは別の問題ですが、とりあえず法律というルールが国民の代表者である国会議員による多数決で成立している以上、私たちはそのルールに拘束されています。
 スポーツであれ、司法であれ、どんな分野でも、ルール自体が正しいかどうかということと、ルールが遵守されているかどうかということは別の問題で、本事件においても、検察側・弁護側共に、相手のルール違反をルールに沿って処理するように訴えることしかできません。ルール(最終的には憲法)自体が間違い、という主張は少なくとも裁判の中ではできないわけで、検察側でさえ、被害者の報復感情を満たすためにも死刑が妥当だ、などとは発言していないことに注意して下さい。
 ますだ太郎様は、「安田先生のご家族が同様な被害に会われたとき」を問題にしていらっしゃいますが、誰でも当事者であれば、冷静になれないのは当然です。だからこそ刑事裁判は被害者を排除し、検察官対被告人という構図にして、中立的な裁判官が冷静に事件を処理していく、という仕組みになっているわけです。もし、被害者を満足させることが裁判の第一の目的であれば、検察官ではなく被害者が被告人を起訴し、検察官は被害者を補佐するにとどめる、という仕組みにしてもいいわけですが、それでは被告人に対する被疑者段階での取り調べや証拠の評価等における客観性の確保が困難になり、冤罪を防ぐという観点からの警察に対する検察のチェック機能も確保できなくなるでしょう。被害者が刑事裁判の当事者から排除されていることには相当の理由があり、被害者を満足させることが裁判の目的であれば、そもそも裁判など必要ありません。裁判というものは、被害者の感情から離れた冷静な判断を提供していくシステムであることを再確認して下さい。
 自分が被害者になった場合を想定し、被害者に同情するということも大切ですが、刑事裁判で弁護人や裁判官がそんなことをしたら、弁護人や裁判官失格といえます。弁護人は依頼者である被告人のことだけを考え、裁判官は被害者に同情せず中立的な立場に立つことがその職責であって、刑事裁判で被害者の立場を代弁することが許されるのは検察官だけであることを忘れないで下さい。


 by kunarukante | 05/03(Wed)05:39

 9: ますだ太郎様へ(2)

 現在の社会のあり方や司法制度が完璧であるわけはありませんが、少なくとも過去の歴史に学び、さまざまな試行錯誤の上に成立していることは事実で、報復(仇討ち)の否定もその結果です。応報感情が誰にでもあることは当たり前ですが、報復を公権力が公然と承認することは公権力の中立性の否定につながり、最終的には法秩序の崩壊をもたらします。「どんな理由があっても殺人は犯罪」という大前提が崩れれば、ある殺人が正当か不当かをめぐって予想もできないような殺し合いが起き、加害者とされる人物の故意や過失の程度にかかわらず、被害者と称する人物が報復するようになるでしょう。結局は、殺し合いの連鎖になります。その大規模なものは、パレスチナやアイルランドなど、世界のあらゆる場所で見られますが、“正当な殺人”を各自が自分の論理で主張している場所では、結局は弱肉強食の論理しか成り立たなくなってしまうに違いありません。
 「ますだ太郎」さんのおっしゃる「ずるがしこい小中学生」がもし実在するなら、そういう人はこの事件で犯人が死刑になっても、「自分ならもっとうまくやる」と思うだけでしょう。被害者がどうしても報復したいのであれば、司法制度に頼らず、報復が犯罪であることを認識した上で、独力で「うまくやる」よう努力していただくほかありません。公権力が報復を肯定することによって生じる危険を考えれば、被害者による報復目的の殺人という犯罪が1件増えただけのほうが、はるかに安全です。

(おわび)前回のコメントで「きっち第二の宅間を生む」は「きっと第二の宅間を生む」の間違いでした。
(注)文字数制限のため、コメントを分割しました。


 by kunarukante | 05/03(Wed)05:40


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