【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


■あの日から20年・・・御巣鷹の夏

肉親を亡くされた方の記事です。
記憶しておきたので、エントリー。


自衛隊員に抱かれて、ヘリコプターにつり上げられていった、あの彼女も幸せな生活を送っているとか・・・
他の3人の方も、幸せに過ごしていらっしゃると良いんですが・・・


Yahoo!ニュース - 読売新聞
御巣鷹で父亡くした歯科医、尼崎事故で身元確認に奔走
20年の時を経て、「8・12」が巡ってくる。1985年8月12日、群馬県上野村の御巣鷹の尾根で起きた日航ジャンボ機墜落事故。単独の航空機事故としては史上最悪の520人が犠牲となり、調査の結果、修理ミスによる後部圧力隔壁の破断が原因と結論付けられた。

 運航ミスや管制トラブルが相次ぎ、日航に対する異例の事業改善命令が出された今年、遺族たちは、「安全軽視」を改めて問いただす。

 「少しでも早く」。墜落事故で父を失った兵庫県豊岡市城崎町の歯科医河原忍さん(56)は、今年4月のJR福知山線脱線事故で、遺体安置所に急いだ。遺体の歯型から身元確認にあたった。

 振り返れば20年前も、同じ気持ちだった。歯科医の父、道夫さん(当時64歳)は東京出張の帰りに羽田発大阪行き日航123便に乗り合わせた。「自分の手で一刻も早く見つけたい」。御巣鷹の尾根から約50キロ離れた群馬県藤岡市に駆け付けた。地元の歯科医の勧めで、事故2日後には白衣姿で身元確認に加わった。

 2週間にわたって遺体安置所に通ったが、父の遺体確認はできなかった。何とか見つかったのは左腕と頭皮。遺品は、焼け焦げた革靴、壊れた腕時計だけ。何の力にもなれなかったとの思いから、宿泊所の風呂で泣いた。「おやじ、ごめん」

         ◇

 しかし、ここでの経験は、歯科医としてのその後に影響を与えた。群馬県の医師や歯科医でつくる「警察医会」が、身元確認を続ける活動を目の当たりにし、歯科医の弟、悟さん(51)らと兵庫県での結成を働きかけた。

 翌86年に設立されると、2人も警察歯科医に名前を連ねた。10年前の阪神大震災では約1か月間、同僚と68人の身元を確認した。

         ◇

 JR脱線事故では、遺体安置所となった尼崎市の体育館に駆けつけた。「息子を生きたまま返せ」。JR職員に殴りかからんばかりに詰め寄る男性。その手を取り、「私は日航機墜落事故で父を亡くしました」と打ち明けた。

 「一刻も早く(遺体を)お返しするように頑張っています」と静かに声をかけた。男性は「わかりました」と一筋の涙を流した。

 損傷が激しかった遺体の確認に取り組んだ。就職活動用のスーツの遺体が大学4年生の長男(22)の姿とだぶった。親と子が突然、永遠に引き裂かれる悲しみがあふれた。

         ◇

 身元確認の作業は、「遺体が語りかけてくる事実を受け止め、その死を生かすこと。それが生きる者の使命」と受け止める。それでもやりきれなさは募る。最近の日航機のトラブルについて「あの墜落事故から何が変わったのか。安全が忘れ去られていないか。命の重さを立ち止まって考える時」と語る。

 12日は自宅で静かに父の遺影に手を合わせ、安全への祈りを込める。あの時に引き戻され、張り裂けるような心を押しとどめて。
(読売新聞) - 8月3日19時29分更新



08/04(Thu)01:02 | Trackback(1) | Comment(0) | ◆ 気儘な話 | Admin

Write a comment
Title
Content
Author
URL
eMail
Attach Image
Option
Auto smile sign convert
Preview

Certification Code    
Input same text please.
You can reload if this is difficult to read.
         
There is no comment.


(1/1page)