【音静庵】
 
礼儀正しく慎ましく…そして自分らしく
 


歴史は作られるもの

国民が政権交代を望み、それまで戦後一貫して政権を握っていた自民党が野に下った1993年~1996年あたりは、今思えば国民は何という選択をした時期だったのかと思う。
そこ頃の名残がようやく幕を下ろすことになった。しかし、名残はこれだけではく様々なところにその影を落としている。

「山が動いた」と述べた政党の党首がいた。しかし、彼女のしていた事は、拉致事件の犯人の釈放嘆願書に署名をし、拉致被害者家族を奈落の底に突き落とすことだった。いまだにその政党は、日本国内をみることなく、視線は日本の左手にある半島北部をさまよっている。
日本と日本人は、いつまで、謝罪し賠償したら、この呪縛から抜け出すことが出来るのだろうか?

第2次世界大戦を見ても、いわゆる戦勝国と敗戦国と、その尻馬に乗った第3国、それぞれの歴史観がある。歴史を読み解くための入門書には、「歴史は歴史家が作る」とある。同じ事実でも、その人なりの人生観により解釈が変わるということだ。さらに歴史を論ずる時、今現在の価値観で論じてはならないということも、良く言われることである。
日本は、日本からみた開戦時の世界状況や日本が置かれた立場をしっかりと、国民に教えたことがあっただろうか? いわゆる「自虐史観」に疑問を持つ一部の人たちが、少なからずの史料・資料を探し出し、与えられた歴史観ではなく、自らの歴史観を構築してきた。
ここ数年、インターネットの広まりとともに、そういうった歴史観に触れる機会が増え、心の中で「日本人はそれほどに悪辣な行動をしてきたのだろうか?」と自問自答してきた一般人が、積極的に発言を始めたことは、めざましいことと思う。

日本は“公共の福祉に反しない限り”思想・言論の自由が認められている国である。対立する論争があってしかるべきでしょう。ただ、感情の赴くままではなく、その主張するための根拠とする史料・資料の明示は忘れてはいけない。出来るならば、その根拠となった史料・資料を辿り、根拠の推移を観察するということも必要になるだろう。なぜならば、思いこみや想像で発言していた人間が、いつのまにか、その発言や著作を改訂し当初の論評が影も形も無くなっていることが見られることは、否定出来ないからである。

ついでに言えば、昭和33年春まで、日本では売買春は合法でした。ただし、誘拐や詐欺での人集めは罪でした。貧しい家の為に身を売った日本女性も多くいました。彼女達は決して、国家に謝罪と賠償を求めてはいません。

ということで、読売社説GJ!とエールを送りたいと思います。



2月6日付・読売社説(2)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050205ig91.htm

 [女性基金]「何のための事業だったのか」

 今となって、いったいなんのための事業だったのか、という疑問が改めてわく。

 いわゆる元従軍慰安婦に対する「償い金」の支給事業などを進めてきた「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「アジア女性基金」)が事業をほぼ終え、二年後に解散することになった。

 一九九五年に創設され、約6億円の募金を集めて、これまで韓国、台湾、フィリピンの元慰安婦二百八十五人に一人200万円を支給してきた。

 しかし、もともと、この「基金」が創設された経緯には、歴史の歪曲(わいきょく)が大きく作用していた。

 たとえば、一部の新聞が、戦時勤労動員だった「女子挺身(ていしん)隊」制度を、旧日本軍の“慰安婦狩り”システムだったとするキャンペーンを展開したりした。これが、慰安婦はすべて強制連行によるものという誤った歴史認識を国内外に振りまくことになり、とりわけ韓国国民に、感情的な反応を呼び起こした。

 日本政府の一連の対応も、「不見識」としかいいようがないものだった。代表的なものは、一九九三年八月、宮沢政権下の河野洋平官房長官談話だろう。この談話の中では、慰安婦の“強制連行”に「官憲等が直接これに加担したこともあった」とされた。

 この官房長官談話に事実の裏付けがなかったことは、その後、当時の石原信雄官房副長官の証言や、内閣外政審議室長の国会答弁などで明らかになっている。要するに、慰安婦の強制連行論には確たる根拠はなかったということである。

 ところが、この官房長官談話は、当然ながら、日本政府の公式見解として独り歩きすることになった。

 このため、韓国などでは、いわゆる従軍慰安婦はすべて「強制連行」であることを日本政府が認めたというように受け止められた。また日本国内でも「強制連行」への「償い」をすべきだという運動が勢いを増した……という経緯により、「基金」が設立されたのである。

 現在、NHKと朝日新聞が、番組内容の改変を巡り事実関係を争っている問題にも、こうした経緯が背景にある。

 争いの遠因となった「女性国際戦犯法廷」も、こんな河野談話を根拠の一つとした流れの運動だった。

 慰安婦は官憲に強制連行されたとする“政府見解”を前提に政治的に設立された「基金」は、「償い金」支給の対象者をどんな基準で選別したのだろうか。

 「基金」設立には、歴史的事実の冷静な検証が欠けていた。事業に終始、疑念がつきまとったのも当然である。



02/07(Mon)22:00 | Trackback(0) | Comment(0) | ◆ 極東 | Admin

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