JOG(034) 敗者の尊厳// リンク先から引用 //
■5.身はいかならむとも■
一方、昭和天皇はどのように、この困難な時期に対処されたのか。
マッカーサーは、昭和20年9月27日の昭和天皇との最初の会談を次のように語っている。
どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもって御出会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。
これには実にびっくりさせられました。
すなわち「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は、日本の名においてなされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。
構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」
これが陛下のお言葉でした。私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上ることを申出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。
陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請した事はありませんでした。とともに決して、その尊厳を傷つけた行為に出たこともありませんでした。[3]
昭和天皇のお言葉は、終戦時の次のお歌と照応している。
爆撃にたふれゆく民のうへをおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民を思ひて
[3] 読売新聞、S30.9.14朝刊、「新編宮中見聞録」、木下道雄、 日本教文社、H10
JOG(136) 復興への3万3千キロ// リンク先から引用 //
■1.石のひとつでも投げられりゃあいいんだ■
ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね。
それが生きた民主主義の教育というものだよ。
昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。