■人を殺すこと |
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| 光市母子殺人事件の犯人が、生への執着を露わにしてきたラシイ。 自らの命が絶たれるかもしれない・・・と言うことに、 思いを巡らせたのだろうか。
遺族のコメントが、まさに、それを指摘していると思う。
死刑の可能性を感じて初めて真剣になったのだろう
やっぱり、事件当時~高裁までは、 「未成年だから、どんな事をしても数年の辛抱で社会復帰出来る。」 そう確信していたんだろうなぁ。 あの友人に当てた手紙を読むと、身震いするほどの嫌悪を感じたもの。
巷間、未成年の会話には、 「未成年なら、少年Aですむ。」 「何をしても、少年法が守ってくれる。」 そういう会話があるのは、確かなこと。 かく言う、私達も、未成年の頃、そして、成年になった頃は、 そう思ってた。 「誕生日来たから、もう、少年Aじゃ通らないんだよね。」
少年法は、「戦後の少年犯罪を基準にしているものだ」 と言うのは、良く知られている。 敗戦後の混乱した時代に起きた少年犯罪に則したものだったけれど、 昨今の少年犯罪には、寸足らず。 大々的に改正された少年法は、 現代の少年犯罪に則したものになっているわけで、 少年法を逆手にとった犯罪行為に対して、 とても、厳しいものになっている。
「己の罪は、己が償うべし」ってことかね。 他人様の命を、無法にも奪ったなら、 己の命で償うことも必要だと。
女子高生コンクリート殺人事件の頃にも、 今の少年法があったらなぁと、ふと、思ってしまった。 光市の犯罪と、どこが違うのかと。
関連エントリー: [06/04/21] ■光市母子殺人事件:結審 [06/03/15] ■弁護士倫理 [05/12/09] ■未成年への犯罪の重罰化を考える
・・・続きに、記事本文があります・・・
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06/18(日)04:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ◆ 社会 | 管理
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